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昔は逆だった?「朝型」の意味

朝型」という言葉はいつから使われているのか気になり調べてみたところ、驚くべき事実が判明した。

「朝型」という言葉の初出は1909年12月発行の『児童研究』という雑誌である。(以下、題名や引用文は新字体・現代仮名遣・漢字平仮名交じりに直してある)「小児の睡眠及び其の障碍」という記事に、以下のようにある。括弧内は引用者の補足である。

「健康人の睡眠状態を実験的に調査するに、二個の定型を区別することを得べし、その一は日晡型(日晡は「じつほ」と読み、ここでは夕方のこと。後の文献では「夕型」と書かれていることが多いので、以後は引用文中以外では「夕型」と表記する)と称するものにして、速(やか)に深き睡眠に陥り、後直ちに浅くなりて、翌朝醒覚(「覚醒」の誤植ではなく、実際に当時はこう表記される場合があった。意味は「覚醒」と同じ)せしときは爽快を覚え、十分の勇気(ここでは「気力」の意味)を以って業務に従事することを得るものなり、之に反して朝型と称するものは(入眠してから)二(、)三時間後に最も深き睡眠に陥り日晡型に於けるものよりこの状態を永続するものなれども、その深さは彼に及ばず、其の如き睡眠型を採るものは、夜間に於て業務を執り易すきものにして、翌朝醒覚せし後は爽快を覚えざるものなり(後略)」

そう、後半で朝型として紹介されているものは、現在では夜型と呼ばれているものである。そして、前半で紹介されている夕型こそが、現在の朝型なのである。何故このような表現になったのか。それは、睡眠がいつ深くなるかに注目したものであるためであろう。現在の朝型や夜型という表現は、いつ活発に活動するかに注目したものである。この文献の他にも、明治時代や大正時代の医学に関する文献では専ら「小児の睡眠及び其の障碍」と同じ意味で朝型や夕型という表現が使われている。

それでは、現在と同じ意味、「小児の睡眠及び其の障碍」でいう日晡型もとい夕型(大正中期からは晩型とも呼ばれた)の意味で朝型という言葉が使われるようになったのはいつだろうか。それは1925年に書かれた『教育生理学』である。この書籍には、「朝型とは午前に於て能率高き者を、晩型とは午後特に夕方に能率高き者をいう」とある。ただし、このすぐ後には従来の睡眠を基準とした朝型・晩型の説明もあり、それと対比させた形で説明されている。このため、やや特異な例と言える。昭和に入った1927年の『心理学原論』においては「午前の作業を好む」という意味で「朝型」という表現が使われており、現在と近い意味になっている。ただし、全く浸透したわけではなく、1928年の『生理三百六十五日』、同年の『子供の神経質』では従来の意味で朝型という表現が使われている。一方、1929年の『文部省検定家事科受験準備の指導』では、午前中に学習することを指して「朝型」という表現が使われている。また、1930年の『文検世界』でも、試験勉強に関する文脈で「朝なら相当早起ができます。つまり朝型なんです」とある。このような事例は1930年代を通して増え続けており、試験勉強の方法について言及する中で現在の意味の「朝型」「夜型」の表現が普及していったと言える。それでも、医学や生理学、心理学などに関する文献では1937年の『日本女子新教育学教授用参考書』、1938年の『児童心理学』などで、「朝型」という表現が従前の意味で使用されている。戦後に発行された1950年の『ふた親のために』や1960年の『精神衛生の実際』などでも同様である。しかし、1950年代になるともう専門書以外では現在と同じ意味で「朝型」という表現を用いるのが専らとなっており、混乱を避けるためか従前のお意味での「朝型」という用語の使用は1960年代にはいるとめっきり減り、1970年代にはほとんど見られなくなった。

ちなみに、「夜型」という言葉は1933年の「受験と學生」という書籍が初出である。